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☆ 同窓生のご趣味やご活動、お仕事etc. をご紹介 第7回 ☆
国際ソロプチミスト厚木での卓話・・・上瀬節子さんのご活動⭐︎
・・・つづき
その頃、私は進学先などあまり考えていませんでした。両親は明治生まれで、母は九人兄妹。長男は日本大学、末の弟は早稲田大学を卒業していました。一方、上の姉たちは女学校へは行かず小学校のみ、したがって母は小学校卒、父は七人兄弟の長男で、早くに父親を亡くしたため、弟たちを小学校に通わせるために、自分は小学校を諦め、大工として働きました。どんなに悔しかっただろうかと、この原稿を書きながら涙がこぼれました。そんな家庭環境でしたから、「勉強しなさい」と言われたことは一度もありませんでした。
私が受験したのは、兄も通っていた県立高校です。当時はレベルの高い男子校で、私たち新制中学一期生から初めて女子が入学しました。女子は少数でしたが、私たちのために女子トイレが作られ、初めて女性の先生が着任されたり、学校側も対応がたいへんでした。体育の時間には上級生とフォークダンスをしましたが、女生徒が少なかったため、とても大切にしていただきました。高校時代は、「卒業したら OL になるのだろう」と漠然と考えていました。そろばんができると有利だと思い、小学生や中学生に交じってそろばん塾にも通いました。
「大学進学」
大きな転機が訪れたのは、高校三年生の夏休みです。女子は大学へ進学する人はあまりいませんでしたが、友人の 1 人が大学受験の準備をしている姿を見て、私も大学を受験したいと思い、両親に相談しました。当時、我が家は経済的に余裕があるとは言えませんでした。二つ年上の兄は「浪人はだめ、国立でなければだめ」と両親に言われ、奨学金を受けながら国立大学に通っていました。私の場合は「進学するなら短大」という意見でした。中学時代の担任の先生も「女性だから短大でよい」という考えでした。それが、当時の時代背景でした。
受験を意識したことで、それまで何もしてこなかった自分に、初めて気づかされました。そこからは猛烈に勉強しました。担任の先生にお願いし、三学期は登校せず、午前中は予備校へ、午後は日比谷図書館に閉館までこもり、帰宅後も勉強を続ける毎日でした。その先生は兄の担任でもあったことから理解を示してくださり、特別に許可してくださいました。今では考えられないことですが、心から感謝しています。
その結果、女子大学短期大学部と薬科大学に合格することができました。チャペルや美しいキャンパスに憧れ、奨学金をもらいながら短大で国文学を学びました。しかし二年間はあっという間に過ぎ、「これからは女性も手に職を持つ時代だ」という思いが強くなりました。短大での勉強、家庭教師のアルバイト、卒業論文と並行しながら、再び薬科大学の受験勉強に取り組みました。実は私は高校で化学を履修していませんでした。1年生で生物、2年生で物理、3年生で化学を学ぶ予定でしたが、3 年の化学は受験のための内容になっておりついていけず、先生に抗議しましたが認められず、化学を諦めざるを得なかったのです。受験科目に「化学または生物」と記されていた薬科大学が一校だけあり、私にとっては大きな幸運でした。なんとか合格することができました。皆さんも、受験科目や条件については、できるだけ早く把握しておくことが大切だと思います。
二年前に合格していたので、学校と交渉し、英語と数学は授業に出なくても試験を受ければ単位を認める、という特例まで設けていただきました。今思えば、少し厚かましい学生でした。入学後、化学についていくのは本当に大変でしたが、国家試験では満足のいく結果を得ることができました。こうして私は薬剤師の資格を取得し、薬局を始めて 77 歳まで現役で働くことができました。
「薬局開店へ」
薬局を始めるまで大変でした。先ず場所を探すのに方位学を勉強していたので、当時住んでいた厚木から未申、西南の方角が良いということで、螢田から手前に各駅を降りて歩きながら探しました。今は東海大学前と言いますが、以前は大根と言いました。その駅の近くにお魚屋さんがあり、繫盛しているようでしたので、その隣にきめました。
その頃薬局を開くのに100mの距離制限がありました。100mぎりぎりの所に薬剤師のいない薬店があり、確実に100m以上あるか確認するため夜中に10mの紐で測って確認したり、ほかの薬局が支店をだしそうだとの情報があり、一刻も早く許可を取らねばと、大工の父に最低限の店舗を建ててもらい保健所へ申請をだしました。許可をとるためだけの掘っ立て小屋です。審査に来た女性の保健所の職員は「馬小屋のようですね」というのです。私は「私にとってはお城です」と言いました。無事に許可を取ることが出来、すぐに壊して改めて建て直しました。今、薬局に関する法律は当時とは大分変っています 。
「経営の努力」
開店しても知人のいない場所では、お客さんが来ないので、色々考えました。小学校、中学校、高校への通学路だったので、文房具を置いたり、医薬分業前の薬局は粉ミルク、洗剤、トイレットペーパーなどしか売れず、悲しい毎日でした。
近くの薬店が資生堂化粧品を扱っていたため、私の店で資生堂化粧品を売るのに1年間またされました。
やっと販売できるようになり、勉強してビューティースペシャリストになり、主人にも、私が留守の時、きちんと説明ができるよう貴方も化粧品の勉強をしてと頼み、嫌がる背中を押してビューティースペシャリストになってもらいました。お客さんに来てもらうためにいろいろなことをしました。メイクをしてあげるだけでなく、いろいろな催しをしました。メイクをしたお客さんをプロの写真家が写真を撮ってあげたり、ウェディングドレスを着て写真を撮ってあげたり、占い師に占ってもらうとか、その人に似合うヘアーデッサンをしてあげるなどなど
資生堂のセールスが提案する催しはすべてして、売上も上がり、前年同月比 200%を 3 か月続けたこともありました。
私たち二人が薬剤師でビューティースペシャリストということで、資生堂が短編映画を作り、ビューティースペシャリストを目指す人達に見せていました。また、資生堂の常務さんとの対談をたのまれ、四国からの方と千葉からの方と、銀座の資生堂パーラーの上で対談をして、そのあと3人でコックさんつきでフルコース料理を頂き、夜はは銀座のホテルが用意され、全国のチェーンストアーに配布される雑誌に掲載され、とても良い体験でした。
「娘のキャリア」
次に私の娘についてちょっとお話させてください。苦労して働く親の姿を見ていた娘は、 「薬剤師だけにはなりたくない」と服飾の大学へ進み、卒業後アパレルの会社につとめました。しかし、28歳になって突然、「薬科大学を受験したい」といいだしたのです。
そこで大学の先輩のソロプチミスト平塚の方が江南高校の先生をしており、ご主人が同じ高校で化学の先生をしていらしたので、教えて頂き、どうにか合格して薬剤師になることができました。ありがたかったです。
今、定年間近かですが、資格のおかげでもう少し同じ職場で働き続けられるときいています。人生、「寄り道」と思える道も、決して無駄にはなりません。
「進路を考えることの大切さ」
もし私が中高生の頃に、皆さんが今日体験されているような進路を考える素晴らしいプログラムに出会っていれば、もっと早く、自分に適した道に気づけたことでしょう。
皆さん。今週14日、日曜日の朝日新聞をご覧になりましたか? オピニオン&フォーラムの蘭に「医学部の地域枠受験 当時の私は」という投書の中に「目の前の勉強に必死だった大学受験のときにはこんな人生もキャリアも全く想像していなかった。結婚・出産、体調変化の可能性や、勉強していく中で興味・関心が他に広がっていくことは、高校生には想像することがむずかしい。大学や専門学校の受験までの間に、キャリアやライフプランについて、たくさんの大人から幅広く話を聞き、具体的に考える機会があったらいいと思う。」というものでした。
全く今日の「女子中高生のためのキャリア・サポート」にピッタリじゃないですか。この投書を見逃さず 、しっかり受け止めた私もすごい! 皆さんが今日このプログラムを体験することは、きっとご自身の進路の方向を決める大きな手助けになるはずです。世界は広いです。どうぞ、皆さんが心から「思う方向」に、力強く、一歩一歩進んでいってほしいと願っています。
「学び続ける、活動し続ける」
最後に、私から一つだけ付け加えるとしたら、「一生勉強する」ということです。私は今 91 歳ですが、時代に取り残されないよう、月に 2 回パソコンの先生に来ていただき、iPhone のことや疑問に思ったことを何でも教えてもらっています。
そのおかげで、今でも友人と Zoom で英会話を続けています。勉強は上智大学卒業の仲間がリードして、私のミーティング ID、パスコードで開始するホストをしています。
健康のためには、地域の方々とグラウンドゴルフを楽しんでいます。また週に 2 度くらいは、今住んでいるマンションの10階から外階段を昇り降りしています。
そして最近、友人のお寺で数人の仲間と『論語』を習い始めました。世界中の人が、こうした中国の素晴らしい文化を学び、人間の道徳を深めることができれば、世界から争いがなくなり、きっと平和になるだろうとおもいます。 この論語の話をかつてのクラスメートにラインで送ったところ、「私も去年から漢詩の講座に通っているよ」という返事が来ました。その方は卒業後5~6年、中国で日本語を教えていました。学びは、いつ始めても遅くはありません。
こまめに動くために車は不可欠です。25才で結婚した翌月から自動車学校に行き、65年間運転をしています。年だからといってやめると認知症になるという説もあるようで、細心の注意をしながらもう少しと思っています。
「家族への感謝」
こんなやりたいことができるのは先ず主人に感謝して、健康に生んでくれた両親に感謝するばかりです。
91 歳という、長い旅路のお話、お付き合いいただきありがとうございました!
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支部長兼ウェブ担当の平本です。上記を拝読する機会をいただいて支部会員の皆さんにもお読みいただきたいという思いがつのり、ウェブサイトへの掲載許可をお願いいたしました。
「中高生へのメッセージですが、(会員の)みなさんにはどうでしょうか」と一度は仰いましたが、ぜひにとお願いしましたところ「恥ずかしい気もしますが、仲間の自己紹介と思って読んで頂ければと思います」とご承諾くださいました。
ご親切にも無理なお願いを聞き入れてくださった上瀬さんには本当に感謝です。信じられない程の若さと美しさの秘密もわかっちゃったかも!